奥多摩日本語学校(仮称)、原島校長先生に聞いた!「学生のために。そして地域のために。両者を結ぶ橋渡し役に」 定年後に迎えた新たな門出

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この事業で新たに奥多摩町に日本語学校が開校されるにあたり、この度校長先生に着任された原島 貞夫先生にインタビューを行いました。(写真はJELLYFISHの役員と共に)

〇大学を卒業後、一度民間企業で勤務なさってから、以降ずっと教員として教育に従事、教育管理職のご経験もおありでいらっしゃいますね。今回『奥多摩日本語学校(仮称)』の校長先生に着任された経緯を教えてください。

(原島校長)
民間企業の勤務は1年ほどで、あとは東京都公立中学校の教員として奥多摩中学校を皮切りに、3地区6校で教鞭を執ってまいりました。また、退職前の9年間は3校にわたって副校長として勤務していました。

定年退職をしてからは、奥多摩町の教育相談室に5年ほど勤務しておりました。そんな関係もあり、町の方々から「ぜひ校長に」とお薦めをいただいて応募をしました。この9月1日付けで校長として勤務しています。

〇人生のほとんどを、地域の教育に捧げていらっしゃったのですね。今日は(※取材日:10月27日)初めて、日本語学校を運営するJELLYFISH社にいらっしゃいましたが、社員さんの印象などはいかがでしたか

(原島校長)
いやぁ、若い方がたくさん活躍していて、とてもフランクに接してくださってうれしく思いました。

〇そうですか。以前、奥多摩町の河村町長も、JELLYFISH社を事業者に採択した一番の理由を『若い意欲的な事業者たちの情熱に感ずるところがあった』ということをおっしゃっていました。原島先生は、JELLYFISHの面々とどのように日本語学校を運営していこうと思われますか?

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(奥多摩日本語学校(仮称)校長に着任された原島 貞夫氏)

(原島校長)はい。教員経験が長い、豊富とは言っても、外国人を対象にした日本語学校は私も初めての経験です。実は先日、JELLYFISHさんがすでに運営している宇都宮の日本語学校を見学してきたんです。実際に訪れてみて本当によかったですよ!

〇たとえばどんなことが印象に残りましたか?

(原島校長)
ええ、まず、外国人留学生たちがたくさん町に出ていて、非常に明るさと活気をもたらしているのを感じました。ああいうふうに、町にとけこんで若者たちが多数いるというだけで、私などはうれしく思いましたね。だから、やはり実際に目で見るということは重要だなと痛感しています。

〇奥多摩町も若年層の減少などの課題があります。

(原島校長)
そうですね。私が本校の校長に挑戦しようと思いましたのも、そこです。若年層の定住を促進したり、地域をもっと活性化したりといったことが今、非常に重要です。JELLYFISHさんと一緒にこの課題解決に尽力していきたい。そう思っています。それと、私はずっと奥多摩町に住み、働いてきたので町の事情もよくわかりますので、町と事業者の間に立ってメッセンジャーとしても機能できるのではないかと思っています。

 

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(「私たちとしては、原島校長先生の存在は非常に心強い。住人の方の目線に立って

コミュニケーションをしていくうえで教えていただくことが多いはずだ(JELLYFISH田中社長)」)

たとえば、町の連絡協議会などに一緒に出席することなどは、すぐにでも実践していき、住人が抱える不安などにも共に耳を傾けていこうと思います。橋渡しができればいいなと考えているんですよ。

〇うわー、それはとっても心強いことに違いありませんね!それでは最後に、日本語学校の校長としての抱負をお聞かせください。

(原島校長)やはり、学校という場の主役は学生です。だから学生が「この学校で勉強して楽しかった」と思ってもらえれば、その後の仕事にも大きな励みになるはず。さらに母国に帰っていずれ架け橋となってくれるかもしれません。それともう一つは、地域の方々のためにこの学校が良い結果を残せるようにと願っています。

〇原島先生、今日は本当にありがとうございました!

【取材を終えて】

終始微笑みを絶やさず、理想とする学校の姿を語ってくださる原島先生。地域住人の皆さんからの信頼も厚く、先生ご自身がおっしゃったように、きっと「メッセンジャー」として地域の和を育んでいかれるであろうお姿が想像できます。

先生の趣味は、菜園での野菜づくり。今は、白菜・大根・ブロッコリー・キャベツ・小松菜・カブ・ホウレンソウ・ニンジンが、もう少しで収穫できそうとのことですから、本格的です!いつか学校でも外国から来た生徒たちと野菜づくりに励んでいらっしゃるかもしれませんね。

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